どこかのだれかへのメッセージ
広大なインターネットが大海だとしたら、このブログは漂流者のようなものだ。
もしくは瓶につめられたタイムカプセルだろうか。
毎日、多くの人がyahoo!などからはじまるインターネットへのアクセスのなかで
このブログにたどり着く可能性は本当に万に一つもない。
私はこのブログが多くの人にとって読む価値のあるものだとは思わない。
だからもし何の因果かここに飛んで来た人、ごめんなさいっていう気持ちだ。
でもたとえば、自分が死んだとき親や親しい友人にとってはもしかしたら少しばかり意味を持つかもしれない。
人に対して文章ってあまり見せないし、こういうことをしていたんだという
予期せぬ驚きもあるだろう。
超個人的な空間だ、ここは。
誰にも見せていないし、ときたまこのように大して意味もない文が書かれる。
ちょっとまじめで、本音を書いた等身大の自分が居る空間。
不器用な文章で表現された不器用な自分が居る世界。
もしかしたらこのような思いで漂流しているブログはお互いが絶対に交わらないだけで
無数に散らばっているかもしれない。
そうだとしたらホントに世の中と変わらないね。
知らない誰かに、こんにちは、
どこかの漂流ブログよ、お元気で。
■
谷崎潤一郎「文 章 読 本」を読む。
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私が感銘を受けた内容をまとめます。
「言葉ではすべての思考を表現することができない。言葉にはその限界があることをよく理解して文章を扱わなければならない。」
「出来るだけ短く、的確に、内容をありのままに伝える。」
本を読み、芸術としての文章、つまり小説に対しての考え方が少し変わった。
ひとつの場面の情景や心理を、シンプル、的確にありありと伝える文章こそ
芯のあるの強い小説を生み出す元となるのだ。
私も日々、同じことに気をつけて文章を書いていきたいと思う。
■
自分が毎日関わっていないものについてはあっという間に時が経つ。
気がついたら全然状況が変わっていることって多い。
子供の頃、親戚の人に大きくなったなーとか全然変わったねとか
いわれたけどそういうことなんだろう。
最近、人の出会いから関係作りはだいたい二ヶ月くらいのもの
だと言うような気がしている。
ただの知り合いから、その後も付き合う友達、もっと近しい恋人、
そういう距離感を作り出す期間はだいたい出会って二ヶ月くらいなのかなぁと思うようになった。
実際は出会ってからというよりも、ふとしたきっかけではじまる
一つの盛り上がりがそのくらいの期間なのだと思う。
タイミングって大事だと思う。
その期間のうちに何度か必ず訪れる分岐点の決断のタイミング。
そういうものに対する敏感な感覚をもっていないとダメなんだと感じる今日この頃。
■
久しくここに文章を書かないうちに、はてなダイアリーも大分変わっている。
日記の編集画面に知らない項目がいっぱいある。
いつの間にか動画も紹介できるようになっていたのか。ネットの進化は本当に早い!
それではひとりごと。
実現したいこと、夢は文章に書いて残せという言葉を本で読んだ。
たしかにそうかもしれない。
私のいまの課題、夢(人生全般において)
1.人付き合いをもっとどうにかする
2.もっと人と仲良くなる
3.恋人をつくる
大体はっきりしているんだよな。これはもうずーっと昔からの課題。
自分になにがあるかはよくわからないけど、
すべてをさらけ出して話せる異性の友達あるいは恋人が欲しいなぁと思う。
それではまた今度。
一緒の時間
いま、会社で気になる人がいる。同僚の女性で一年先輩でひとつ年下。
いつも朝早く出社し帰りも遅い。
仕事中は本当に人のことを気遣うし、人の力になることを嫌とせずに進んでやる人だ。
その姿勢を毎日見ているとなんだかとても嬉しくなってくる。
私自身もがんばろうという気持ちになる。
どうして彼女はそういう生き方を出来ているのだろうかということを考えてしまう。
すごく気になるのだ。
普段からもの静かで自分の思っていることを口にはださないのでなおさらそういう気持ちになる。
なにか強い信念によって突き動かされているのではないんじゃないかと思ってしまう。
やっぱり気になる。
一緒に時間を過ごして色々話してみたいと思う。
現状そういったことが出来る関係ではまったくないけれど、
それができるようになればいいなぁと強く思う。