まだ続いています


随分とここに書き込みをしていなかった。
それでこうしてキーボードを叩いていると、なんだか懐かしい感じがする。
ディスプレイに向かい合いながら自分の内面に向き合うという作業はひさしぶりだ。


書き込みはしていなかったけれど、いつもインターネットにはアクセスしていた。
アンテナを通して見えることは多い。
他の人にも私と同じく時間が流れているのだなぁなどと当たり前の事も思う。


個人的には、ここで色々と書いていた時よりも実生活で色々と人に接する機会は増えた。
ここで書きたかった事も実際に人に話して昇華する事が多くなったのかとも思う。


でも逆に以前よりもコミュニケーションに淡白になってしまったのではないだろうか。
あまり何も考えずに適当に相手に対応するということも出てきたのかもしれない。
他人に対する、ある種の恐れ、壁といったものが以前よりも感じられなくなっている。


前よりも普通にコミュニケーションを取れるようになったけれど、
なにかそれによって失われてしまう感性があるような気がしてならない。

したくないこと


これまで生きてきたなかで自己の成長につながったんじゃないかなって経験は、
その多くがあまりやりたくないことをやって見た結果得たものなのかなと思う。
だから私のなかには漠然とした定理みたいなものがあって、
それは『やりたくないなーと思ったものをやってみると、なんだかんだで得をする。』
というものである。


だけどなかなかそのようにやって見る勇気がでないのが悲しいところだ。

書きたいモヤモヤはなにか


今自分のなかに引っかかっているモヤモヤ、それがなにかはわからないのだけど
それをどうにかして吐き出してやりたい。この一ヶ月くらいそういう思いを抱えていた。
仕事も休みの水曜日、窓から吹き込んでくる風のしめっぽさに
夏の終わりの気配がし、どことなく不安な気持ちで今パソコンに向かっている。


書きたいモヤモヤはなにか、それはきっと自分自身きちんと整理できていないだけで
心のどこかで確実に理解しているのだと思う。
モヤモヤがつっかえて出すことができなにのは、
それを自分の目の前に言葉にしてしまうことに対する恐れがあるからなのだろう。


だから今こうした文章を書いているということは、
もしかしたらもうすでに自分のなかでその重要な何かを消化してしまっているということなのかもしれない。
なにがそのきっかけになったかはよくわからない。


ただ季節の変化だったり身の回りの環境の変化というのは自分が考えている以上に
心に影響を与えているのではないかというのはここ最近たびたび思うことだ。
住んでいる場所、生活している部屋、聴いている音楽、毎日食べる食事、
そうしたものをよく眺めてみると自分が明確に見えてくるような気がする。


ふと手を止めて、足も止めて、ただだらんと部屋でぼんやりしているとこんなことを考えてしまう。
ところでこうした考えに至る微妙な感覚って果たしていつまで続くのだろう。
いつまでもこんな不確定な文章を垂れ流しにするようなことを自分はするのだろうか。
それともそうした年頃っていうだけなのだろうか。


なにかをはっきりさせるということを嫌うことはいいことであるとはおもわないけれど、
どことなく心地がいい気分に浸れることは確かだ。

久しぶりの更新


もう二ヶ月以上も更新していなかったみたいだ。随分と間隔があいてしまった。
自らを取り囲む環境が、がらりと変わっていく最中であったから、
どうも落ち着いて文章を書くことに向き合うことができなかった。


ここ数日になって、やっと少しばかりの余裕が感じられるようになってきた。
少しずつ、今までの自分のスタイルが新しい生活の中に取り戻されてきたようだ。
なんとか五月病もやり過ごした今、またこのブログを更新していければいいなと思ってます。

はてないろいろ


はてなのサービスが知らないうちに結構増えている。
余り使いこなせていないが、、、というより使う理由もそれほどないんだけど、
なんだか気になったので少し調べてみた。


それでやっとこさ、はてなモジュールrss表示というやつを導入することに成功。
左の雑知識というモジュールがそれです。
とくに表示させていたいものがあったわけじゃなかったので、
どのような内容を表示させようか考えるのに結構苦労した。


結果としては、どこからか聞こえてくる耳寄り情報的なものを載せることに。
恣意的、偶発的に情報を得ることの楽しみがネットの醍醐味かなと。
とりあえず一時的に導入してみてよかったらまた続けていこう。

『EMOTIONS』 MARIAH CAREY

Emotions

Emotions


アルバムのタイトルにもなっている曲。
この曲が持っているエネルギーは、どんな聴き手をもを強引にはじけさせてしまう
くらいの強さを持っている。
マライアの太陽のような明るさと天まで突き抜けるような歌声はひたすら気持ちよく、
本当に空高く飛ばされてしまいそうだ。
まさに英語でいうemotionという言葉がぴったりなんだと思う。
感情が生む心の高鳴り。
ここまではじけられるのはやっぱりアメリカの持っている明るさのような気がする。


91年に発売されているが、確かに90年代の音だ。
ドラムやシンセサイザー等使っている自体は80年代によく聴かれたものと同じだが、
そのアレンジのされ方が完全に変わっている。
それまであった音の味付けのクドさがなくなり音に透明性が増している。
全体にシンプルで洗練された構成となっているという印象だ。


そのemotionでひとつの時代を突き抜け、新しい時代の幕開けを飾った曲なのだと思う。

違うひと

hygrometry2006-02-23



三月で今住んでいる部屋を引っ越すため片付けている。
本棚の整理をしていた。


何年か前のノートや大学の講義プリントが出てきた。
二、三年前のことなのに本当に懐かしく感じる。
内容も果たして本当にこんなことを勉強していたのか、
と思ってしまうものばかりであった。
ほぼ完全に今の私の記憶からは失われているものであった。


ノートは、字こそ自分で書いたものとすぐに分かるけれど、
脇にかいてある落書きなどをみると今の自分とは全然違う。
その時々、一番頭に浮かんでいる旬のことが書いてあるので
ころころと内容が変わっている。
そういやこんなこと必死に考えていたんだなということが多い。


不思議なのはこうしたことが今の自分と繋がっているようには思えないことだ。
変わり目となることが多分あったのだろうが、
それが分かるようなノートは出てこなかった。


片付けていて気付いたことはよほど強く思いを持ち続けていないと、
気付かないうちにその思いは消え去ってしまうということだ。
時間と取り囲む環境によって、自分は本当に気付かないうちに変わってしまう。
怖いことは自分は何も変わっていないと感じてしまうことだ。
何年かはわからないが、ある一定のスパンを経ると、
人はその中身がガラッと変わってしまうのではないだろうか。


若いうちは自らをどんどん変えていくことを望むが、
それは別に望む望まないに関わらず当然のように変わっていくものなのかもしれない。
むしろ自分を変えないということの方がよっぽど難しいのではないか。


人は常に変わり続ける、現在という瞬間、
本当に同じ自分であるのかと疑うほど全く異なることを考えている。