実体験を伝えること


長い間連絡を取っていなかった友人に久しぶりに電話をかけてみようと
受話器に手をかけた瞬間、偶然にもその友人からの電話があった。
聞けばこれに似たような体験は、みんな結構しているらしい。
私自身も何かの節目節目にこういう経験をしているような気がするが、
おそらくそれは強く印象に残る体験だからなのだろうと思う。


専門的な言葉では、共時性とかシンクロニシティというらしいが、
少し調べてみるとなにやら不明瞭な説明が多く、またそこにつけ込んで
うまく信仰心を煽るような本があるようでこれ以上調べるのをやめた。
私にとっては、この体験はそんな大それたものではなく、
あくまでたまに身近でおこるちょっとしたものでしかない。


これとは違うがこんなことも感じる。


例えば、今はまだ日の目は浴びていないが素晴らしい感性をもった作家がいるとする。
その人間がまさに日の目を浴びるその瞬間とは一体どのような状態なのだろう。
もしかしたら目には見えないが多くの人の潜在的な興味を得ているんじゃないだろうか。
みんなあと一歩というところでそこに手を出していないだけで、
実はすでに多くの人間の目にとまっているのではないだろうか。
きっかけというものはほんの些細なズレみたいなもので始まるだけなんじゃないだろうか。


目に見える行動の背後には、それを生み出すまえの膨大な可能性が渦巻いているのだろう。
形としてあらわれたひとつの器によってその可能性を汲み取ることが出来るのだろうか。
そしてそのかたちこそ時代や文化が生み出すものなのかもしれない。


やはり実体験から飛躍させてこういう可能性的なことを考えると答えはうまく定まらない。
事実をありのままに記述した方が読む人に多くを感じてもらえそうだ。