母国語ブーム


ここ最近、メディアでは日本語や言葉自体を扱ったものが多いように見受けられる。
テレビでは、日本語自体をテーマにした番組も見られる。
同じく、広い意味で言葉について扱っていると言える、クイズ番組も多い。
テレビにおける、こういった流れはここ一年くらいで急に見られるようになった。


書籍の世界では、数年前から同じ流れが続いているようだ。
ベストセラーになった『声に出して読みたい日本語』をはじめ、
敬語の使い方や読めそうで読めない漢字などを扱った各種ノウハウ本が
書店のおすすめコーナーに並んでいるのを見ない日はない。


母国語に対して関心が高まるという現象は、基本的には衣服などの流行と同じで
何年かの周期で定期的に来るものであると思う。
実際、私が小さい頃にも、たしかに今と似たような流れがあったように思う。
それこそ『読めそうで読めない漢字』など、親が買ってきて必死に読んでいたのを覚えている。
だから今の日本語ブームもそういった周期的な理由が大きいのかもしれない。


どうしていま日本語が見直されているのかということは私がわかることではないと思う。
また、そういったことを知っても私にとってたいした意味はないであろう。
私がいまひっかかっていることは、
どうしてか私自身も言葉に対して同じように関心を持ちつつあるということだ。


今年に入って、特に春くらいから文章ひいては言葉に対して意識するようになった。
そして、その最大の原因はまさしくこのブログなのである。
自発的に文章を書く、という機会はこれまで私が生きてきたなかでは、まるでなかった。
手紙を書くこともないし、論文はかなりで形式的なもので
自分の内面を表現するということはなかった。
そういったものは、文章と言えるかもわからない携帯のメールくらいのものだった。


折しも今テレビでは、人気ブログを原作としたドラマが放送されている。
深夜ではいまインターネットで検索されている単語のランキング番組などもやっている。
一方で古く歴史のある日本語を扱った番組が求められ、
もう一方では非常に現代的で俗っぽい言葉に関心が向けられている。
今メディアではこの対照的な二つの言葉について扱われているのである。


インターネットの普及、ブログブームによって、
個人は世の中に向けて自分の言葉を発するようになっている。
私も見事にこの流れにのってしまっているといえるのだろう。
文章に対して感じる自意識的な体験は確実に今の時代だから起こったものだ。


とすると、もしかしたら私と同じように文章を書くということに
自覚的になっている人が増えているのかもしれない。
私のようなある種のブログ難民のような人間も予想外に多くいて、
同じように文章を書くこと自体に対してもがき苦しんでいるのかもしれない。


よく考えてみれば、今の日本語ブーム、私にぴったりなものばかりではないか。



声に出して読みたい日本語


読めそうで読めない漢字2000 (講談社+α文庫)