音楽との向き合いかた


ディプレイの脇にあるスピーカーからシャッフルされた曲が聴こえてくる。
気に入っている曲なので飛ばさないで聴いている。


いまやインターネットで音楽はいとも簡単にダウンロード出来る。
一曲150円程の値段で手に入れることが出来るようになった。
さらに合法的ではないがP2Pという技術も確立しているのが現状だ。
音楽との金銭的な距離は以前に比べると遥かに縮まってきている。


音楽に対して払う価値を決める力はもう消費者に移っているのかもしれない。


私自身は年齢的なものもあると思うが、ここ数年音楽にお金を費やすことが少なくなった。
そこにはまぎれもなく上で述べたようなことが背景にあるわけだが、
実はその技術的革新が逆に自分を音楽から遠ざけたところもあると思っている。
かつての金銭的束縛は私の音楽に対する動機を常に計っていたからだ。


アルバムに払う3000円という価値は私の音楽に対して懸ける時間でいえば
二ヶ月から三ヶ月くらいのものだった。
私は当然今自分の求めている音楽を聴きたいのだが、
その音楽は必ずしもうまく選ぶことは出来ない。
だから私にとって音楽の選択には常に慎重さをもって望んでいた。


アルバムが世界観を味わうものだとすればシングルは気分を味わうようなものだ。
いまの私の音楽への向き合い方は気分的なものなのだろう。
一曲一曲のもつ、ある一瞬の気分に浸っていることが多い。
それはそれで楽しかったり、甘美な気分になったりといいものではある。
ただ音楽を作っている側からするとそういう聴かれかたはどうなのだろう。
なにかこちら側との行き違いのようなものがあるのではないだろうか。


1つの作品としてのアルバムと向き合うことは年々少なくなっている。
好きな曲ばかり聴いている方が楽で手っ取り早い。
さらに全体を通して聴き込めるアルバムとして完成度の高いものは意外と少ない。
消費される音楽として売り出されたものの中にそんなものは少ないのは当然だ。
音楽を作る人にとってなかなか生きにくい世の中であると思う。


ところで、シャッフルという聴き方が流行りつつあるのも面白いと思う。
シャッフル再生はいわば偶然に作られたアルバムだ。
そこにほとんど聴いたことがなかった曲が流れ、
ああっ、この曲はなんだろうと思いつい聴き入ってしまうことも多い。
その曲がまさに片隅に追いやられていたアルバムの中の一曲であるからおもしろい。


いまこうしてディプレイに向かいながらもシャッフルは続いている。
もう10曲くらいは経過している。
途中では飛ばす曲もあった。
基本的には馴染みの曲まで飛ばしてしまうことが多い。
でもたまに気分にあった曲が回ってくることがある。
そういうときはその偶然に任せてその曲を聴く。



次の曲はなんだろうか。