墓参り


先週の彼岸は家族で墓参りに行ってきた。
母方の祖父母の眠っている墓である。
例年私はお盆にしか行かないが、今年はたまたま実家に帰っていたので行くことに。。


昼頃に霊園に着く。
墓の掃除をして、お供え物を置き、花を生け、ろうそくを立てて、お参りをする。
この一連の流れはいつも変わらない。
お供え物は、叔母のつくってくれたよもぎ餅、前日スーパーで買ったバナナ、
巨峰、パパイヤなどだ。だいたいその季節の旬の果物やお菓子が並べられる。
今回は茹でたとうもころしも並べられていた。


皆がお参りをしたあと、そばの芝生に座ってお茶を飲みながら、お供え物を食べる。
朝飯を食べたばかりなので甘ったるいものはあまり口に入らない。
その間は決まったように毎年繰り返される会話が交わされる。
『ばあちゃんはよもぎ餅がすきだったよなぁ。いまそこでお前を恨めしそうに見ているかもよ。』とか。。
15分くらいが経ち、母親が、『さあ、そろそろいきましょうか。』と言う。
ようやく落ち着いたと思った腰を、よいしょ、という感じで上げ、帰る支度をする。


甥に抱きつかれたりしながら、墓場の駐車場までみんなで歩く。
トンボを追いかけている小さな姿を目で追い、少し大きくなったんじゃないか、などと呟く。
お盆とは違い、日射しがやわらかく、空気もまるで止まっているような感じだ。
『それじゃあね』とそれぞれの車に乗り込み、各自が家路へと向かう。


なんの意味があるのだろうかと思い、毎年いやいや行っていた墓参りだ。
でも最近は、この淡々と繰り返される行為を受け入れられるようになったような気がする。
意味なんてなくてよいのだろうと思うようになった。
むしろ、このなにもなく淡々とした行為が常に続いていることに貴重さがあるんだろう。


いつも忘れた頃にやってくるその日が、来年も何ごともなく来ればよいと思う。