自分の部屋


たまになにかの拍子に、いつもの自分の部屋がふと客観的視点を持って見れることがある。
客観的視点というと堅苦しいなぁ。
感覚的に言うと、今まで自分がいる世界としてなんの疑問も持たないでいた部屋が、
なんらかのきっかけによってそれが外の世界から見ているようになることがある、という感じ。
俺の場合はとにかくその瞬間、自分の部屋のあまりの自分らしさに嫌気がさす。


まず部屋のあるべきもののバランスが異常に不自然なのである。
とりあえず電化製品が多い。
まず20型のテレビとビデオ、DVDデッキにはじまり、
オーディオ関連ではやたらに重いオーディオアンプやらもうつかわないMDデッキ、
さらにはほとんどつかいもしないターンテーブルなどなど。
パソコン関係もデスクトップ、プリンター、スキャナーと全部単品ものだ。
これらのものが、7帖の一人暮らし部屋にすべて置かれているのだ。
あきらかに部屋の広さに対して多すぎる。


一方それに対して部屋のユーティリティ的につかうところは全然確保されていない。
とくに洗濯物など衣服をまとめておいておく場所が圧倒的に足りない。
だからいつも一週間もたてば、部屋のある一角に幾重にも覆いかぶさった服の山ができる。
けれどもその山を見るにつけ俺は、あー洗濯めんどくせえなー、と放置するだけだ。
俺が洗濯をするタイミングは、そのうちに山が上の重みに耐えきれなくなり雪崩を起こすときで、
その時点でやっと、しょうがないなあ、洗濯するか。となるのである。


と、このように俺が好き勝手に部屋を放っておくといつもこんなことになるわけだ。
とにかく自分の欲望のままに部屋が構成されていくのである。
つかいやすさとか居心地のよさはどっかにいってしまって、
自分のやりたいことができればよいというまるで子供の部屋みたいになってしまう。
いまだに部屋に対する発想が、秘密基地を夢見ていたガキのころと変わらないのだ。


そしてはじめに書いたように、ときたまそういう事実に自分自身気づくことがあるのだ。
あーっ、またやっちまった。と思って、つい反省してしまう。
しかしその反省もなぜか、もう部屋のもの全部なくしてしまえ、という方向に行く。
そういう極端な思考に陥るのところがまたガキくさい。
とりあえずは行動を起こし、途中せっせとマンガなどいらないものを捨てにかかるのだが、
ついそれを読んでしまって結局捨てられないはめになるのもいつものパターン。
そうこうしているうちにだれてきて、本日はここで終了でいいか、となる。
しかしもう次はない。


これは勝手な仮説だが、いつもこんなことになってしまう原因は、
俺が男兄弟に生まれ、しかも自分の部屋というものを中学生という
比較的遅い時期にもったからであるということなのではないだろうか。
俺の少ない交友経験からもきっとそうではないかと思うところがある。


今日はここでそれを検証していくことはしていかないが、
もし俺と同じような境遇の人がいれば言いたいことはわかってくれるのではないだろうか。


今日はあまりの部屋の汚さに家主ですら居心地が悪くなってこんなことを書いてしまった。


ああ、もういっそお部屋改造隊にでも応募してしまおうか・・・・