ユートピアからの脱走


携帯の電源を切る。
このボタンひとつで済む操作が心に与える意味は思っていた以上に大きい。
またそれは現実の生活に対しても思いがけぬほどの効果がある。


たったこれだけのことで頭に取り憑いていた電話の向こうの人間を消すことが出来るし、
事実、電話の電源を切ってしまえばこちらとの連絡の取りようはないのである。
それほど今の生活では人との関係を携帯電話に依存している。


そんな、いまとなっては病的なほど欠かせないものも、ほんの10年ほど前にはどこにもなかった。
社会に爆発的に普及したのはせいぜいここ5年くらいで、
俺が持ったのもつい3年前のことだ。
しかし、たったその5年で携帯電話が完全に根付いてしまったというのが今の社会なのである。


まさに携帯は時代の流れに乗って開発された革命的なツールだ。
思えば、どこでもいつでも相手と連絡が取れるという考えてみればとんでもないものである。
いまやもう、人は携帯さえ持っていれば、どこにいたってだれかと繋がっているのだ。


けれども、俺はその必ず繋がっているという世界がときどきうっとおしく感じる。
携帯という革新的なツールが、そのすばらしさゆえになんともいじらしいのだ。
これ1つあるだけで、相手がどこにいたって確実に繋がることができる。
まさにそのことが俺を苦しめるのである。


さらに悩ましいことに、つぎのような固定観念が社会に蔓延している。
『携帯を持っているのなら、連絡が来た時にそれに必ずでなければならない。』
もはや携帯電話をもって社会に生きるということは、
それによってもたらされる人間関係を半ば強要されているといってしまってもいい。


『その世界はかつて理想郷として頭に描いていたはずなのだが、
実際にそれが現実になるとなぜか新たな問題がでてくるものだ』というのはよくある話。
携帯電話がもたらした世界も俺にとってはまさにそういうものなのである。


そんな俺は、いまだけちょっとその憂鬱な理想郷から抜け出しているのである。