いいわけ


以下は俺が何ごとにも積極性がないということについての勝手な言い分。(昨日のつづき)


とにかく物心がついたころから人前にでるのが生理的に苦手だった。
家族や仲の良い友達以外の人間と接触するということは、俺にとって常に一大事件だった。
久しぶりに会う親戚の前に出て挨拶するのも逃げ出したくなるほどいやで、
いつも兄のうしろについてニコニコしながらなんとかしのいでいた。
こんな性格だから、幼稚園で新しい友達をつくるのも苦手だったのは言うまでもない。


ふたつ目もおなじようなどうしようもない生理的反応が原因だ。
たとえば算数の授業で分数の割り算を習う。
そのときクラスの中で自分だけが出来ないという状況になり、
そしてそのことでまわりのみんなに何かを言われるという場があるとする。
その場というものは、俺には悪夢以外の何者でもない。
そんな状況に置かれた俺はいつもほとんど反射的にわけもわからない涙が溢れ出した。


感情の振れ幅が最高潮に達してしまって、もうどうしようもなかった。
それはたとえば別にいじわるな言葉を言われたとかそういうことが原因じゃない。
とにかく自分だけが取り残されている、そしてそのことによって注目されているという状況が
俺にとってはとてつもなくつらいものなのである。


そしてそういう自分を守るためにあの頃の自分はある処世術をつくりだした。


それは『積極的に目立たない』というものだ。
積極的に集団の中に隠れる努力をする。目立つ行動は限りなくつつしむ。
これが俺の処世術の原点となる。
だから、テストも文句のない点数をとれるようにがんばったし、体育も毎回必死で受けていた。
もちろん当時の俺が明確にこんな思考をもっていたわけはなく、
それはまったく無意識に行われていたわけなのだが。


これが俺の消極的姿勢の原点であると思う。
あくまで自分の言葉で書いたものなので客観的にみられたかはわからないが、
いま考えてみるとやはりこういう意識をもって生きてきたのだと思う。


当時の自分は必死だったと思う。
そのころはなにか得体の知れないものに追われていたという感じがある。
あらゆる身に起こる変化というものが恐ろしかったのかもしれない。
忘れ物ひとつするだけでこの世の終わりのような気分で腹痛を抱えながら次の授業を待ち構えていた。


まったくいまでは遅刻常習犯と言われ、あんただけテンポが遅いんだよと
罵られても何ら気にしない人間からはおなじ人間とは想像がしがたい。
逆に考えると無意識にあの頃の自分の裏返しを選択して生きているのかもしれないが。。