消極的姿勢


俺の人生のなかで一番問題となってきたことなんじゃないかと思う。
ことあるごとに自分の積極的姿勢のなさを自覚してきた。


小学校、中学校といつももっと積極的になれみたいなことを通信簿に書かれた。
たしかに小学校では問題に対して手を上げて発表することが極端に少なかったし、
委員会などで人前に立って話すこともほとんど無かったにひとしい。
中学校でもそれはまったく変わらず、
テストの得点に比較すると内申点というやつが、全然だめだった。
とりあえずみんながやる委員会というやつも万年図書委員で仕事をやってるのか
やってないのかわからん闇のポストについていた。


これが高校になると突然改善したというわけではなく、そこには何の進歩もみられなかった。
高校くらいになってくると教師も生徒に何も言ってこなくなるので、
楽といえば楽だった。
けれども何度かこのブログで書いてきた通り俺の存在はそのころまったく無かったに等しい。


結構すごいエピソードだが高校の1学年が終了する3月になる頃、
担任の教師に名前を覚えられていなかったことがある。
たしか授業中かなにかに生徒に問題を順番に当てていくことがあって、
その順が俺の番になって顔を見たとき名前を呼ぶのに戸惑っていた。
教壇には教室の席の配置と名前が書いたシートがあるのだが、
結局はそれをみて俺の名前を呼んだということがあった。
あのときはなんというかいたたまれない気持ちになった。
俺はそういうのには慣れていたのでたいしたことではなかったのだが、
多分教師にしてみればしまったという感じだったんじゃないかと思う。


と、こんな感じにまさに消極的姿勢を全面に貫いてきた俺の人生なのだが、
一方どうしていつもこうなのか、ということについては一応俺なりに理由がある。


>明日につづくと思います。