162歩

[ひとりごと]徹底した自己語り


えーと昨日、一昨日といつにもまして自己語りをしてきたんだけど、
我ながらなんともぶっちゃけているなぁと感じています。
なんとなく最近のブログの流れを壊してしまいたかったというのもあって
あんな文章を書いたってのもあるんですが、
やはり自己語りをしてしまうってのはその行為の良し悪しは別にして、
なんかたまったものを吐き出すがごとく気持ちのよい行為であるのも確かだなぁとおもう。


で、それにこりず今日も徹底した自己語りの極みの文を書いてしまいました。
そしてまた一時的にではあるが、勝手に気分よくなってます。
おまえの勝手な行為で気分よくなられてもなんの意味もねぇんだよという人も
多くいられると思うので(というか大半の人が)以下の文には注意してください。


というまたいらんひとりごとでした。


[ひとりごと]おんがくの時間


食べ物だとかのなにかの好みの対象に対して、好き嫌いというものはほとんどない。
だいたい何ごとに対しても面白さを見いだすことが出来るし、
性格的になんにでも好奇心がある方だ。
だから学校の科目においてもなにかが特別苦手ということもなかった。
あるひとつの教科を除いては。


大体にして学校においてテストのある科目は授業を聞いてそれを暗記していればなんとかなるものだ。
主要5教科というものはその最たるものだし、
美術や体育、技術、家庭科なども基本的にいわれたことをこなしていればよい。
幸いなことにそれほどの運動音痴であったり不器用ではなかったのでそう思えたこともあるだろう。
しかしそんな俺にも音楽という科目だけはどうしようもない恐怖の時間であり続けた。


音楽の時間が苦でもなんでもない人にいわせれば、きっと音楽という科目も
ただ聴いたものを覚えて繰り返せばいいというに違いない。
しかし俺にとってその繰り返すという行為が最大の鬼門だった。
なにしろ人前で発言することでさえ避けて通ってきた自分である。
ただしゃべるだけではなくそれをメロディーという表現をもって
大勢の人間に向き合うというのは考えただけで、それは失神ものなのだ。


さらに俺は自分でもびっくりしてしまうくらいの音痴である。
そもそも歌うという行為が俺のなかに生まれたのが小学校2年生のときの歌のテストであった。
そのときカエルの歌をうたったことによって、はじめて俺は歌というものを自覚し、
同時に自分の驚異的な音痴具合に愕然としたのである。
その際、俺は人に俺の音痴具合を指摘されてはじめて自分が音痴だということもわかったのだ。
だから俺にとって歌を唄うという行為は、音痴である俺が生まれだすことに他ならない。
ところで、その場でわけもわからず泣き出してしまったということはもちろん言うまでもない。


それから現在に至るまで音楽の時間、とくに歌を唄うという行為の意味合いはまったく変わっていない。
カラオケにもいまだに数を数えるほどしかいったことがないし、
実はそのなかでまともに唄ったことは一度もない。
もはや現代では化石のような人間の部類に入るだろう。


しかしそんな俺も、最近少しずつ歌に対して苦手意識がなくなってきたのである。
きっかけは些細なものだ。
あれほど嫌いだった音楽の授業、カラオケの誘いというものがまったくなくなったのである。
もうあのいやな時間がどこにもないのである。
そしてあろうことか一人暮らしをするようになってから、
CDを聴きながら気分のいい時に歌を口ずさむようになってしまった。
そうして自分一人の世界だけでは、俺は歌を唄うという行為に苦手意識はなくなり、
それどころかけっこう楽しいもんだなぁと思うようになったのである。


そして今、自分の中で革命的なことが起こりつつある。
それは自分の歌をつくってみようということを思い描いていることである。
まだまだなんの形にもなっていないが、そういうことをアタマに思い浮かべるようになった。
すこしずつ音程を意識して人の歌に合わせて唄うこともするようになった。
こんどパソコンに録音して聴いてみようかとも思っている。


ひとにとってはどうでもいい革命がおこりつつあるのである。