だいぶ落ち着いてきたように思えるブログ


うえの続き。
雑誌をぺらぺらとめくっていたらブログ特集が組まれていた。
最近新刊書籍としてもブログのはじめ方のようなものをみるようになったのではないだろうか。


雑誌には読まれるブログの秘訣みたいな特集や人気ブロガーへのインタビューが載っていた。
おもしろおかしく脚色したりするといいんだそうだ。


ふーんという感じだった。
そんなにみてもらいたいものかねえ。


最近は俺自身わりとブログというもののにたいして客観的になれてきたような気がする。
最高の自己主張の場だけどある意味冷めた目で自分をみるようになってきた。
要するに飽きてきたのだ。


毎日書くことに飽きたわけではなくて、ブログというシステムに飽きてきたのだと思う。
できることはもうだいたいわかったというところ。


で俺自身のいまのスタンスはこんなものである。
ネット上において現実に俺がいるように振る舞う。
ただそんだけ。


システムなんかにまったくとらわれないよなあ、これは。
文章に縛られるだけだ。


web上で無数に何かを発している人のなかで現実と何ら変わりないことを文章として残しているだけ。


そんな時代になってしまったんだなあと思う。
もうおそらくこれからの技術の進歩によってネットの容量はさらに大きくなるだろうから
こういう文化はなくなんないんだろうな。
おもうことは、ビデオや音楽等の大きな容量のものがより簡単に乗せることができるようになって、
もうなんだかぐちゃぐちゃな世界になるんだろうということ。
著作権なんてないだろうなあ。


そんななかで、自己のたわいもない日常を書いたテキストスタイルのブログは
古典的でありながらも内容をみるともっともおもしろいものになるんじゃないだろうか。
おそらくネットを通して最も知りたいのは他人の素の表情や本音なのではないか。


少なくても自分はネットを介して何気ない普通の日常がかいま見られるいわゆる気の抜けた日記が好きだ。
飾りのない自分の言葉で書かれたテキストだけのブログに出会ったとき、
暗黙の了解をもった友達を見つけたような気がする。


そしてあまり交流はしないところに醍醐味がある。
書く文章だけで交流のその意志を示すのである。
だってなんかコメントしてしまうと書く文章に少なからず影響が出てしまうから。
とにかく具体的な何かを想定して文章を書くのはやめてほしいので。


そんなわけでもっとも生産的な情報価値がないものが好きなのである。
まったく無意味に思えるけれど、ふだんのたわいもない会話のようなものがいい。


そんなブログが言語の垣根を越えて理解し合えるようになればいいし、
そういったものを探す検索技術も早く発展してくれれば、
もう少しブログに対する世間の認識も変わってくるのではないかねぇ。