曖昧さ

良くも悪くも自分はこの言葉に依りかかっているところがある。
書いている文章のなかで、自分がいかに曖昧という概念を用いていることか。
曖昧という言葉がでてこなくてもこの概念に関連する言葉を頻繁に用いている。
これほど何かを表現するうえで便利なものはないかもしれない。


曖昧はものごとを決定するわけでもなく、かといって切り捨てておくわけでもない。
見えそうで見えない、しかし確実に何かがそこにある。


それを気持ちよく思える人もそうでない人もいるだろう。
一般に欧米人は気持ちよく思わないというが実際にそうなのかはわからない。
そういう概念を表す言葉をほとんどつかわない言語を用いているからだろうか。
ということは言葉に引きずられて人間の感情、表現は決まるのだろうか。


おもえば言語というものがそれ自体曖昧だ。
見えそうで見えない人の感情や人と人との間で誤差がありながらも一致できる概念を表すものであるし。


曖昧さ、この言葉を頻繁に用いる自分は、自分自身そうした状態に身を置くことが好きなのかもしれない。