伝わるなにか

hygrometry2005-04-23



落ち込んでどうしようもないとき、久々に会った人がかけてくれる
いたってふつうのひと言はどうしてこんなに心を突き抜けるのか。
さーっと自分のなかに透き通ったきれいな水が流れるような感覚。


落ち込み方がひどいときに聞くと、そのとき自分を覆っている鬱屈とした
シールドとか殻のようなものを一瞬にして崩壊させてしまう。
バラバラバラッとくずれさった後は完全な無防備になりとてつもない不安につつまれる。
そんななか、さらに突き進んでる言葉によって、
自我はまったく保てなくなり、わけもわからず自然と泣き崩れてしまう。
電話越しに相手がいつものように話してくれるのを聞くと、
涙がとめどなくあふれ出す。


自分への悲しみと相手へのなんといっていいかわからない気持ち。
いったいなんなのだろう。
感謝という気持ちはもちろんだがその瞬間に感じるものではなく後に感じるものだ。
安心感ももちろん感じるのだがその言葉だけでは表しきれない。


他者であって他者でない、ぜったいに自分ではない何かから受けたはずのなにかであるのに、
なぜかそれは自分自身であるかのようにからだに受け入れられる。


とにかくそのひと言は全身に流れ渡りそれまでまったく生気を失っていたはずの身体を呼び起こす。
そのとき視界がパッーとひらけ、それまでどれだけ周りが見えていなかったかに改めて気付く。


そういうとき相手に対しては、なんといってあげればよいのだろう。
相手はこっちの状況はわかってはいないのだから
大げさに感謝の気持ちを表されても困るのではないだろうか。
だけど、本当に助けになったという気持ちだけは伝えてあげたい。


自分はいままでそういうときどういう対応をとってきたのだろうか。
きちんと気持ちを表してこれなかったに違いない。
本当にどうしたらよいのだろうか。


いまの自分には、いつものように笑いながら「うん、うん、ありがとう。」
というような会話をするしか、気持ちの表し方を持っていない。
そうではなく、なにかひとつでも、相手にあたえてもらったものを返したい。


相手から伝わったなにかが完全に自分の何かに変わったのだからこちらからもそうしたことができるはずだ。