わが子である文章


文章は、自分から生み出され、書き落とされたあとには完全に独り立ちする。
自分の分身のようにみずからを映し出す、たべてしまいたいほどかわいい子供のようなものだ。


しかし、希望を持って世界に放たれたわが子を見守る親は、目前に広がる光景に愕然とする。


わが子とまったく同じ姿かたちをしたもの、が見渡す限りに存在するからである。


それをみた親は、「まさか、そんなはずはない。」とあわてて自らの姿を確認しようとする。


しかしそのような手段はどこにもなかった。


そこでなんとかひねり出した考えは、
おなじようにわが子を見守る親たちに自分をみてもらおうとすることであった。


他の親たちは自分に対し、わが子と似ている特徴についてほとんどいってくれなかった。


ではいったいあの子たちは誰の子なのだろうか。


あのこのうちの一人は、たしかに自分が産み落とした子供に違いないはずだ。


しかし今となってはもうどの子が自分の子なのかはまったくわからなくなってしまった。


そばでは、このようにいっている親がいた。


「わーい、私の子供っていっぱいいるのね。みんななかよくするのよ。」


このようにいう親もいる。


「あれはきっと私の子ではなかったのね。なにかのまちがいだったんだわ。」


私はこのようにいった。


「ほんとうにごめんね。あなたはあまりにも早く生まれてきてしまったの。
 ほんとうは、まだまだ私の中にいなければならなかったのよ。」


自らの分身であるこどもを生むためには、いったいどれほどの産みの苦しみを味わうのだろうか。