hygrometry2005-05-28



最近、音楽を自発的に聴かないことが多くなったように思える。
一週間音楽機器に手を触れていないことにいま気がついて、
変な感慨にふけっている。


これまでは、なんとなくいつもそのとき好きな音楽をほぼ毎日聴いていた。
それほど集中してはいないけれど、なくてはならないものだったように思う。


音楽は、その時々の自分の精神的な指向を表していると思う。
あまりジャンルだったり、細かい音にはこだわるほうではなく、
どちらかというとアーティストそのものに対して思い入れを抱いていた。
それも、多分に勝手なもの。
顔やジャケットの指向から勝手に自分の好きなイメージを思い描いていることが多い。


まあ、結局お気に入りの人間をコレクトするという行為にすぎないのだと思う。


おそらく今自分が音楽を聴かなくなった理由は、
そういった行為を前ほど欲しなくなったからではないか。


俺も年々、自分から遠い人間に対しての興味というのが薄れてきたと思う。
芸能人だとか、スポーツ選手だとか、作家だとかの人々について。
そういった人々とは経済的にも物理的にも距離感がありすぎる。


昔ならば、一方的な理解でもってそういった人に対して、何か親近感を持っていた。
それも信仰心に近いような情熱を持って。


しかし、最近は身近の人の方に全然興味がわくようになった。
いつも話している人ですら考えていることが全然わからないから。
どうして自分とこんなにも違うのかとおもうことがしばしば。
癖だったり、行動の選択のちがいだったり。
ようするに身近な人の普通の行動それ自体が一番おもしろいことに気づいたのである。


そして、そこで自分の中での有名人に対する見方のパラダイムシフトが起こった。


身近な人を基準にして有名人をみるようになったのである。
これは多くの人にとっては当たり前のことなのかもしれない。
しかし、俺にとっては非常に大きかった。


いままでは、自分の延長上に有名人を描けていなかったのだ。
彼らはあたかも別の世界の人間かのようであったのである。
だから、彼らのとる行動は実感をもってイメージできていなかった。


しかし、いまでは彼らはすくなくても今の自分の世界の延長上にいる。
だからこそ今までよりもさらに距離感をもって感じるようになった。


そうして彼らから興味が失われてきたのだと思う。
彼らのやることは自分の想像力でもって補完して考えることが難しいから。


腐れ縁の友達の方がよっぽどリアリティがあるのだ。


というわけでおんがくをあまり聴くことがなくなったと、分析している。


でも最近では逆に音楽に対してけっこう思い入れが強くなったかもしれない。
言い方は変だが、友達感覚でおんがくを選ぶようになってきた。
いままででは適当に聞いていた歌詞の部分にわかるよなぁということが多くなってきた。


自分も多少は人生経験積んできたのかなぁと思う。


で言いたかったのはこの曲について。全面的にツボ。生き方に結構共感。


やっぱ勝手な妄想抱いちゃうけどね。


あなたと私にできる事

あなたと私にできる事