ずれ


ここ数日自分の意識の深いところにある何かに追われているようだ。
その影響かブログの内容がそれを無意識に避けるようにどこかずれたものになっている。


本音を吐き出してしまう場としてここを利用しているはずなのに、
ここですら躊躇してしまっていることがくやしい。


今日は少し自分に対して切り込んで向き合っていってみる。
パソコンにむかってタイピングするなか何が引き出てくるものか。


その内容は思い切って言ってみると、これからの生きていく糧を決断するということ。
ほんとに単純な話でどうやってお金を稼いでこれから生きていくのかということ。
いってしまえば誰もが当然抱えている問題なのだがそこで悩んでいる。
というか相変わらずウジウジしているという状態。


いい加減もっとリアリスティックに生きていきたいが、
それを求めず、むしろそうではない方向にずっと何かを追い求めてきた自分がいる。
思えば、中学、高校からの思春期にあたる時代、不況という陰鬱な社会状況をスケープゴートとして
自らの勝手な理想論と社会だたきに知らぬ間に溺れていたのではないかと思う。
これからは実力第一主義ということを高らかに自分でいっておいて、
その言葉に溺れて実際は何もしてこなかったことに今にしてようやく気付いたわけだ。


勝手に社会に動じて苦しんでいる振りをしているだけで本当に苦しんで来たわけではなかったのだ。
だから結局何も生み出しているわけではなかった。


もしかするとこういう人間は自分とおなじ世代に多いのかもしれないと思う。
何かを抱えた振りをして働いていない人。
不況不況といわれる時代になんとなく生きてなんとなく自分も不幸なのかなと思ってしまっていた人。


ほんとうは自分のすべきこと、できることは不況前からそうはかわらないのに。
そこのところをぼやかして生きてしまってきたつけが今のしかかっているというわけだ。


いかんな。
愚直に誠実に自分、社会に対してむきあっていかねばならないと思う。