モノクロフィルム

hygrometry2005-04-05



家族の映った古い白黒写真やテレビで流れる戦後復興の時代の
モノクロ映像をみるといつも気をつけることがある。


これはモノクロで記録された世界だが、
実際は今となんらかわらない色がある世界であるということを。


いつのまにかありもしないモノクロの世界がいつも私のなかに浮かんでいるからだ。


モノクロで見た写真なり映像は、そのままモノクロの印象で頭に残っていることが多い。
たとえば、ばあちゃんの若い頃の写真を見た時に、
映っている服の色、土の色、家の色を実際そこにいて見ているようには想像できていない。
ばあちゃんの後ろに映っている野原はきっと今と変わらず、もしかしたら
今よりもずっと青々としているのかもしれないが、なぜかそう感じられない。


これは、すべてのモノクロフィルムにおいて同様な感覚である。
おかしなことに、カラーで映された戦争映画を見た際に逆に違和感さえ感じる。
それはおそらく実際の過去の世界の色づかいなのだろうがなぜかおかしいと感じる。


実は、この感覚は写真というものが無い時代までさかのぼると無くなる。
たとえば、お侍さんがでているフィルムを見ても何ら違和感は感じない。
当時のありのままを描いた色づかいであると知らず知らずのうちに感じているのだ。


それはきっとモノクロフィルムによってそれらが記録されていないからではないかと思う。


モノクロフィルムで記録された時代、1900年頃から1960年くらいまでの時代は
なぜか色あせた記憶となって私のなかにおさまっている。


しかし、祖母や両親が瑞々しい若さを持って生きていたこの時代、
自分の記憶とおなじように色鮮やかな世界を描きたい。
まして激動の時代であり、そばにいるひとから生の体験を聞いたこの時代こそ、
本当の色をもって想像できればとてつもなく面白い世界となるはずだから。