もしもの話


もしかして大きな環境の変化さえなければ、いつまででもつづくんではないだろうか。
はてなというプラットホームにこだわらず似たような形式でさえあれば、
おそらくネットさえあればこんな感じのことをずっとつづけられる環境はあるに違いない。
そんなこと考えてもいなかったが、この予想は現実におおいにありうることだろう。


おなじようにブログを続けている人は、いったいいつまで続けるつもりなのだろうか。
今はそんなこと考えていなくてもあと30年とか続くと考えている人はいるのだろうか。


かりに30年にわたってほぼ毎日続けることができるなら、それはすごいことなのかもしれない。
チラシのうらでさえ30年続けば、壮大なスケールとなるに違いない。
10000回を超える数の、単なるくだらない思いを打ち出したエントリ。
あまりの意味のなさによってそれこそ壮大な意味を持ってくる。


またほかのひとのエントリを30年毎日読み続けるというのはどれだけのことなのか。
相手が誰か知らないのにそんな長い年月つきあうことなんて歴史上にあったのだろうか。
思考だけでつながる30年の月日。
それは日々のくだらないことにこそ信憑性と親しみがわくのではないか。


またどうでもいいことならば、環境の変化があったとしても気兼ねなく書き続けられるだろうし。


もしかしたらブログブームが火をつけた個人の日記のパプリック化というのは、
人と人との関係のありかたにおいて新たな可能性をつくり出しているのかもしれない。