直感といわれるもの


数多くの経験に裏打ちされ導かれた感覚、判断といったらいいのだろうか。
直感というものの存在は広く認識されているけれど、
それが直感ということばであるがゆえに曖昧にとらえられているのではないだろうか。


おもうに、直感と呼ばれるものは日常生活のなかでけっこうみんな普通に使っているのではないか。


たとえば、一義hourで100人のうちで一人だけ当てはまる事柄を考えるというコーナー。
あれはなぜだかよくわからんが、しばしば一人という結果が出ている。
おそらくゲストの人はべつに計算したり統計を参照して考えてみたわけではなく、
なんとなく自分のなかでそうではないかということを言っているだけであろう。


また、これは俺がよくあること。
スーパーで買い物をしてレジで清算してもらうとき、べつに計算はしていないが大体の金額はわかる。
数的に考えていないというか量的なイメージが自分のなかにありだいたいの金額がわかる。
気付かないうちになんとなく1500円をかまえて握っているなんてこともある。
で、だいたい1400円とか一割減くらいの金額を要求されることが多い。


かなり経験的な感覚に似ているが、この感覚を直感ということにすれば、
なんとなく言葉で次のようにいうことができる。


無意識上で今まで体験した経験の事例を整理している。
それは安心感というか慣れた感じというかそういう感覚と結びついているような気がする。
逆に言うとはじめて体験することは情報を受け入れるだけで、
その整理が全くできていないので、不安感、焦りを感じる。


とにかく無意識上の膨大な情報整理のなかできれいにソートされたり、
奇跡的な配置の組み合わせがおきているのではないだろうか。


一般的にいわれる直感は奇跡的な組み合わせが自覚されたときのことを言っているのだろう。
しかし経験則的な直感ならば、自分の感覚に注意深くなりさえすれば、
かなり頼りがいのある判断方法として利用できるのではないだろうか。


個人的に直感を良く育むためにはよく寝ることが大事なのではないかと思う。
寝ている時に記憶としての情報がぐっちゃぐちゃに絡み合い、
いわゆるとんでもないストーリーの夢をつくり出していると思うからである。
そうした情報の組み合わせを何度もすることによって直感が働くようになるのではないか。


う〜ん、自分の好きなテーマだけど、やっぱりうまく言葉で説明できないか。。。