噂と情報


「〜らしい」といってしまう内容は情報としての質はほとんどない。
ネットをするようになって自分は多くの情報を知るようになった
と感じることもあったが、実はその情報は所詮噂となんらかわりない。


噂は行動を起こすうえでのきっかけ、予備知識としてはある程度役に立つだろう。
しかしどう考えてもそのひとつひとつは薄っぺらなものに思えて仕方が無い。
依って立つことが出来るかと考えるとあまりに心細い。


本当に信頼できるそのような噂を見分けるには膨大な量の経験から来る直感が必要であろう。
しかしだからといってぶわーーーーっと溢れ続けるそんなうわさ話にずっとつかっているなんてごめんだ。


抽象的、観念的に生きる世界のひとは記号としてのことばに操られ過ぎではないだろうか。


実際目の前にある、まさに物質的な意味での現実をよく見ないで、
横並びになった人々のアタマの上から吹き出て連なっている、
雲のような曖昧な妄想に対して話しかけているのではないか。


肉体から精神が遊離した状態の人間は周りの現実が明らかに見えていない。


とりあえずこんなことはもう置いておいて外の空気を感じてみたいと思った。