生活から削ぎ落とすもの


何かこう、俺の生活にはいらんものが多すぎる。一時的な欲を充足させるために存在するものが多すぎる。
特に電化製品。惰性に走ってしまうんだよ。これらのすばらしい製品たちは!


TVを始めとして、ビデオ、DVD、オーディオ、ゲーム、などなど。


これらは、日本がつくり出してきた世界に誇れる製品だと思うんだけど、
どうも人生を振り返ると結果的にはいらないもののような気がする。
たしかにさんざんこれらのある生活にどっぷりつかって、そのうまみを存分に味わってきたけどさあ。
けどやっぱ、友達と外でサッカーしたり話してる方が楽しい記憶として残ってるからなあ。
自分には嘘はつけないよ。


一番問題なのは、「これらの製品たちに自分がいつのまにかのみこまれてる」ということなんだよなあ。
TVなんてただ垂れ流してるはずなのに、いつの間にかその情報に犯されて(例えばホリエもんとかドラマとか)
それが生活の一部分に確実に侵入しているということ。
よくよく考えると、いつの間にかTVの向こうの人の考えに踊らされてる。
ほんと、いつの間にやら気づかぬうちにだよ・・・・


結果的に自分が持っている考えというのはTV、雑誌等の垂れ流しメディアを通して
大きく構成されてきたと思う。でも、それももういいやっていうことを毎度ながら思う。
自分から何かを起こさない限りもうここから得ることは少ないだろうと。
そういってTVを制限することはこれまでにたびたびあったことだ。


で、結果的にそれはつづかない。だってボタン一つ押して放っておけばいいだけだから。
自分では見てないつもりでつけているんだよ。もうこれは現代型依存症だね。
多分捨ててしまわない限り無理だろう。


ところで、それが出来ないには、俺なりの反論もあるわけで・・・

1.TVは一般的な時事ニュースに関する限り一番わかりやすいメディアである。そして世間の流れには敏感でいたい。
2.人といる時にはいいものである。いい感じに間を持たせられるし、結局TVなんて人と見る時は大して魅力のないものになる。(誰かと見ていることが重要で、TVの内容はどうでも良い。)
3.もうすでにモノとしてそのデザインや存在感に愛着を持ってしまっているので、手放すのに気が引ける。


という単なる戯れ言みたいな言い訳によって、
TVは今まで俺の生活から削ぎ落とせないものとなっているのである。


でも、誰だってこう思うことがあるのではないか。
今の自分に本当に必要なものだけをもっていて、
そうでないものはすべて捨て去ってしまいたいということを。
だけどその決断をささいな言い訳でいったん躊躇して、
じらしているうちに結果として元のままにおさまるということを。


もう全く現代にはびこる病である。これ自分の先祖に聞かせたら絶対に理解されないよ。


とまあ今日もぐだぐだいってきたけど、ようするに今自分はもうこの慣れきった生活に
おさらばしたいんだよ。そして、新しいことをするために捨てなきゃならないものは
たくさんあるということを悩んでいるだけだ。
つべこべここで言ってないで、もう無人島でもどこでも行ってしまいたい気分なんだよ。


・・・・だけど悲しいのはきっとあした起きてこの文見たら、
うわっアホじゃねーっておもうことなんだよなあ。ガックリだ。